訳あり熟女パブGracie~グレイシー~
30代後半~40代、50代前半中心 人生経験を積んだ、話し上手で聞き上手な美熟女のお店。
第4話(雨の体温)
5年前、土砂降りの池袋。人生のどん底にいた健一(当時43歳)と、孤独を隠して夜を生きる愛(当時35歳)は出会った。
欲望と打算が渦巻く夜の街で、二人が最初に見つけたのは、身体の繋がりではなく「言葉の温もり」だった。
数えきれないほどの「夜」を重ねて、二人が静かに一線を越えた日の記憶。
池袋という砂漠で見つけた、あまりにも純粋で、壊れやすい愛の形。
池袋西口、ロマンス通りの入り口。雨は容赦なくアスファルトを叩き、ネオンの光をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせていた。
5年前のその夜、初めて店を訪れた健一は、今にも消えてしまいそうなほど頼りない背中をしていた。離婚調印を終えたばかりの心と、連日の深夜残業。カウンターの隅で、彼は酒を飲むというより、ただそこに「透明な存在」として佇んでいるようだった。
「……大丈夫ですか? 顔色、あんまり良くないですよ」
愛が差し出したのは、冷えた水割りではなく、熱いおしぼりと一杯の温かいお茶だった。それがスナックの商売として正解かどうかは分からない。けれど、営業スマイルを忘れてそうせずにはいられないほど、彼の孤独は深かった。
「……すみません。ここ、スナックですよね」
「ええ。でも、たまにはお酒じゃないものが飲みたくなる時、あるじゃない?」
愛が微笑むと、健一の強張っていた肩の力がふっと抜けた。その夜、彼は自分のことを語らなかった。愛も何も聞かなかった。ただ、雨音をBGMに、とりとめのない世間話をした。それだけで、二人の間に不思議な「隙間」が生まれた。夜の街で出会う男女が持つ、あのギラついた期待とは無縁の、穏やかな隙間だった。
*
それから健一は、週に二度は店に顔を出すようになった。一ヶ月、三ヶ月、半年。
二人の距離は、池袋の季節が巡るのと同じくらい、ゆっくりと縮まっていった。店が終わった後の深夜の『デニーズ』で始発を待ったり、休日の昼間に、わざと夜の匂いがしない南池袋公園で待ち合わせたり。客とホステスという関係を、薄皮を剥ぐように一枚ずつ丁寧に取り除いていった。
「愛、俺、君がお店で笑ってる顔も好きだけど、こうして黙って隣にいてくれる時の顔が、一番好きだよ」
出会ってから一年が過ぎようとしていた冬の夜。愛のマンションへ続く静かな道で、健一が不器用に愛の手を握った。震える彼の指先から伝わってきたのは、欲望ではなく、自分を必要としてくれているという切実な願いだった。
その夜、二人は初めて一線を越えた。狭い部屋に、愛のつけていたフローラルの香りが広がる。肌を合わせることで確かめたのは、快楽よりも、互いの心の傷跡の形だった。池袋という欲望の砂漠で、二人はようやく「自分を偽らなくていい場所」を見つけたのだ。それは、一般人から見れば「スナックのホステスと客」という汚れた関係に見えるかもしれない。けれど、愛にとっては、人生で一番純白に近い恋の始まりだった。
*
「愛さん、またボーッとして。健一さんのこと、思い出し笑いしてましたよ?」
不意に、紗耶香の声で現実に引き戻された。カウンターの向こう側で、紗耶香が冷めたような、それでいてどこか獲物を品定めするような目で自分を見ている。
「……そうね。ちょっと、昔のことを思い出してたの」
愛は穏やかに答え、健一が座るはずの椅子を愛おしそうに見つめた。5年という月日は、二人の間に揺るぎない「普通」を作ってくれた。彼は自分を「夜の女」としてではなく、一人の「愛」として見てくれる。その信頼があるから、どんなに夜が深くても、愛は迷わずにいられるのだ。
「(健さん、早く来ないかな。……今日、なんだかすごく、あなたに抱きしめられたい気分なの)」
愛の純粋な願いが、雨音に溶けていく。しかしその背後で、健一に届くはずのないスマートフォンのバイブ音が、別の誰かの手元で短く鳴った。それに気づく者は、まだ誰もいない。
第5話、葵が堕ちていく「氷と熱の檻」へ続く。
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