GALSBAR&LOUNGE
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第3話(仮面の綻び)
「スナック 琥珀」の最年少、紗耶香(24歳)。
彼女が振りまく愛嬌と、時折見せる傲慢なまでの自信は、すべて彼女自身を繋ぎ止めるための「防波堤」だった。
嘘を重ね、他人を見下すことでしか保てない、あまりにも脆弱な自尊心。
華やかな夜の街で、誰にも選ばれなかった記憶が、彼女を怪物へと変えていく。
「はい、あーん。……ふふ、おじさん照れすぎ!」
紗耶香は、常連客の口元にフルーツを運びながら、鈴を転がすような声で笑った。店内の誰からも「可愛がられる新人」という役を、彼女は完璧に演じ続けている。鏡に向かって一ミリ単位で調整した笑顔と、相手が喜ぶ「生意気な甘え」の配合。それは彼女にとって、呼吸をするよりも意識的な、必死の作業だった。
(……笑え、私。ここで笑わなきゃ、ただの『ゴミ』に戻るんだから)
紗耶香の胸の奥には、常に冷たい隙間風が吹いている。半年前、この店に来るまでの彼女は、池袋東口のキャバクラで誰からも指名を取れず、同僚たちからは存在さえ無視される「空気」のような存在だった。ロッカーに詰められたゴミ、わざとらしく聞こえるように囁かれる陰口。あの時の、胃が焼けるような屈辱を忘れたことは一度もない。
だからこそ、彼女は自分を塗り替えた。指名が取れすぎて嫌になったという嘘。数々の男を泣かせてきたという虚勢。それらはすべて、自分が「選ばれなかった女」であることを隠すための、重厚な鎧だった。
*
「紗耶香ちゃん、ちょっとこのグラス洗っておいて」
愛が、優しく声をかけてくる。その淀みのない善意に触れるたび、紗耶香の指先は微かに震えた。愛は、自分がかつてどれほど無残に踏みつけられたかも知らず、のんきに「幸せ」を享受している。その存在そのものが、紗耶香にとっては耐え難い暴力だった。
「愛さん、昨日健一さんと何かあったんですか? なんだか、今日はお肌のツヤが違う気がして」
紗耶香は、わざとらしく愛を褒めた。愛が「え、そうかな? 恥ずかしいわね」と頬を染めるのを見て、紗耶香は内側で冷たく舌を出した。愛を喜ばせるのは、彼女を奈落へ突き落とした時の「落差」をより大きくするため。そうやって他人の人生をコントロールしている感覚だけが、紗耶香に「自分はここにいてもいい」という偽りの許可証を与えてくれるのだ。
*
不意に、店の扉が開いた。入ってきたのは、かつて紗耶香がいじめられていた店の、元・黒服の男だった。紗耶香の全身の血が、一瞬で氷つく。
「あれ、お前……こんなところで働いてんの? あの店、バックレたよな」
男の何気ない言葉に、客たちが一斉に紗耶香を見た。愛も、葵も、あかねママも。 その視線が、まるでナイフのように紗耶香の鎧を剥ぎ取っていく。自分を保つための嘘が、ガラガラと音を立てて崩れようとしていた。
「……何言ってるんですか。あのお店、私が辞める時、みんな泣いて止めてくれたんですよ?」
紗耶香は、裏返りそうになる声を必死に抑え、精一杯の虚勢で言い返した。震える手をカウンターの下に隠し、爪が食い込むほど拳を握りしめる。嘘をつき続けなければ、この場で消えてなくなってしまいそうなほどの恐怖。彼女にとって、虚勢を張ることは、もはや快楽ではなく「生存本能」そのものだった。
*
「……そう。ならいいけど」
男が興味なさそうに席に着く。紗耶香は、止まっていた息をようやく吐き出した。 鏡に映った自分の顔を見る。そこには、塗りたくったファンデーションの下で、今にも泣き出しそうな、あの頃の「選ばれない少女」の瞳が覗いていた。
(……誰も、私を知らなくていい。私は、私が作った私で生きていくんだから)
紗耶香は、もう一度完璧な笑顔を作り、新しい客に向かって駆け出した。その足取りが、どこか危うく、震えていることには、まだ誰も気づいていない。
「(……ねえ健さん、私を助けてくれるのは、あなただけだよね?)」
崩れかけた自分を繋ぎ止めるための、新しい「ターゲット」。彼女の目は、まだ見ぬ健一の姿を、飢えた獣のように求めていた。
第4話、愛と健一が一線を越えた夜「雨の体温」へ続く。
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