premier〜プレミア
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第11話(健一の裏切りと愛の慟哭)
降りしきる雨は、すべてを洗い流すのではなく、隠されていた汚れを浮き彫りにさせた。
健一(48歳)は、紗耶香の誘惑に抗えず、5年守り続けた愛との誓いを踏みにじる。
一方で、一抹の不安を抱え雨の池袋を彷徨う愛(40歳)の元に、残酷すぎる「真実」が届く。
慟哭がネオンの海に響き渡り、二人の運命は取り返しのつかない終焉へと走り出した。
池袋の路地裏にある、湿り気を帯びたビジネスホテルの客室。健一は、鏡に映る自分の顔を直視できなかった。48歳、会社ではそれなりの地位を築き、夜の街では「誠実な男」として通ってきた。だが今、そのメッキは、隣で無防備に髪を解く24歳の紗耶香の手によって、無残に剥がれ落ちようとしていた。
「健一さん……。そんなに苦しい顔しないで? 私は、ただ今夜だけ、あなたのものになりたいだけ」
紗耶香の白い指が、健一のシャツのボタンに触れる。その冷たさが、逆に健一の血を熱くさせた。愛(あい)との5年間は、穏やかで、慈しみに満ちたものだった。だが、その「正しさ」が、今の健一には息苦しい足枷に感じられてしまった。紗耶香が提供する、刹那的で毒を含んだ刺激。健一は、地獄に落ちることを自覚しながら、その指先を力強く掴み返した。
(愛、すまない。……でも、俺はもう戻れない)
健一が紗耶香を抱き寄せたその瞬間、彼の中で何かが音を立てて死んだ。それは、愛が命懸けで守ろうとしていた「二人の絆」の断末魔だった。
*
同じ頃、愛は激しくなり始めた雨の中、傘も差さずに「琥珀」の近くを歩いていた。店を閉めた後、健一から「急な仕事が入った」とメッセージが届いた。いつもなら疑いもしないその言葉が、なぜか今夜に限って、冷たい氷の塊のように胃の底に居座っていた。
不意に、スマホが短く震えた。愛は縋るような思いで画面を点ける。健一からの「終わったよ」という連絡を期待して。
だが、画面に表示されたのは、知らないアドレスからの、一枚の画像だった。
「……え?」
指先が凍りついた。雨粒が画面に落ちて、画像が滲む。だが、そこに写っているものは、見間違えようがなかった。薄暗いホテルの照明の下、見慣れた健一の横顔。そして、彼に甘えるように絡みつき、レンズに向けて勝ち誇ったような笑みを浮かべる紗耶香の姿。
メッセージには、一言だけ添えられていた。
『愛さんの健一さん、最高に優しいですよ。』
「嘘……、嘘よね? 健さん……」
膝の力が抜け、愛はその場に崩れ落ちた。アスファルトの冷たさが膝を刺す。今まで健一から注がれた言葉、抱擁、二人で誓った「5年後の未来」。そのすべてが、この一枚の画像によって、卑俗なゴミ溜めへと叩き落とされた。
*
「あああああああああぁぁぁ!」
池袋の喧騒さえもかき消すような、絶叫が口から漏れた。それは言葉にならない慟哭だった。信じていた。この汚れた街で、自分たちだけは特別だと。健一だけは裏切らないと。愛(40歳)の叫びは、激しい雨に叩かれ、誰に届くこともなく夜の闇に吸い込まれていく。
通り過ぎる酔客が、雨の中で泣き喚く女を気味悪そうに避けていく。かつて愛が「優しい」と感じていた池袋のネオンは、今は剥き出しの殺意を持って彼女を嘲笑っていた。
(返して。私の5年を。私の愛を。返してよ!)
愛の目から溢れるのは、涙ではなく、魂の削り節だった。彼女の心は、今、確実に壊れた。紗耶香の目論見通り、一点の曇りもなかった純真は、最も残酷な形で踏みにじられたのだ。
*
ホテルの一室。健一は、紗耶香が自分のスマホを操作していることに気づかなかった。事を終えた後の賢者タイムの中で、彼はただ、失ったものの大きさに怯え始めていた。
紗耶香は、送信履歴を消去し、健一の腕に頭を乗せて呟いた。
「ねえ、健一さん。もう、愛さんのところには戻れませんね」
その声は、悪魔の囁きのように甘く、冷たかった。健一は、自分が取り返しのつかない罪を犯したことを、雷鳴のような恐怖と共に悟った。
「(……愛、ごめん……ごめん……)」
ホテルの窓を叩く雨音だけが、愛の慟哭を代弁するように激しく鳴り響いていた。
第12話、終焉と再生の夜「琥珀の灯が消えるとき」へ続く。
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