連載小説
池袋スナック物語 〜夜の隙間に落ちた二人〜

第2話:渇いた潤い(葵の場合)

執筆:スナック・ストーリーズ小説部 | 公開予定日:2026.02.06

第2話(渇いた潤い)
「スナック 琥珀」のカウンターで、巧みな話術と色香を振りまく葵(38歳)
自由奔放で結婚に興味なしと公言する彼女だが、その裏側には、客と「一線」を越え続けることでしか埋められない孤独があった。
今、彼女が溺れているのは、妻子ある男との危険な情事。
池袋の夜に溶ける氷のように、形を変えながら求め合う二人の、熱く湿った物語。


「もう、社長ったら。そんなこと言われたら、今夜眠れなくなっちゃうじゃない」

葵は、常連客のグラスにそっと手を添え、上目遣いで微笑んだ。38歳。大人の女性だけが持つ、計算し尽くされた「隙」がそこにはある。客が自分の言葉に一喜一憂し、酒のペースが上がっていくのを見るのは、彼女にとってこの店での日常的な「勝利」だった。

葵はこの3年、数えきれないほどの男たちと「大人の関係」を結んできた。池袋西口のホテル街のネオン、あるいは北口の薄暗いマンション。客とホステスという境界線を、彼女はあえて自分から踏み越える。それは愛のような「純愛」への憧れではなく、渇いた喉を潤すために、一時の熱を共有する行為に過ぎなかった。

だが、今の相手だけは少し勝手が違っていた。不倫相手の慎二。彼との逢瀬は、これまでのどの「遊び」よりも、葵の心と体を深く焦がしている。

*

「葵さん、お水お代わりです!」

新人の紗耶香が、元気よくフロアを駆け回る。その若さを眩しいと思う時期は、葵の中ではとうに過ぎ去っていた。今はただ、この騒がしい店内の喧騒さえも、慎二を想うための心地よいBGMに思えていた。

葵はカウンターの下で、こっそりスマホの画面を点灯させた。慎二から届いた、短いメッセージを反芻する。
『週末、妻がいない。いつもの場所で待ってる。』

その文字を見ただけで、葵の体温がわずかに上がるのが分かった。彼と過ごす時間は、常に死角のない緊張感に包まれている。見つかればすべてを失う。その恐怖が、逆に二人を強く結びつけ、肌を合わせるたびに「生きている」という実感を葵に与えていた。

「……葵さん、顔、赤いですよ? 飲みすぎじゃないですか?」

いつの間にか隣に来ていた紗耶香が、茶化すように言った。愛(40歳)なら「大丈夫? 無理しないで」と本気で心配してくれただろうが、この新人はどこか、こちらの内面を面白がっているような節がある。

「大丈夫よ。ちょっと暑いだけ」

葵は努めて冷静に答え、冷えたチェイサーを口に含んだ。冷たい水が喉を通っても、慎二を想う熱は一向に引かない。むしろ、この不自由な関係こそが、今の自分には最高の贅沢なのだとさえ感じ始めていた。

*

深夜、閉店作業を進める中で、葵は鏡に映る自分を見つめた。
完璧に引かれたアイラインと、少し乱れた髪。5年も一人の男を信じ続ける親友・愛の「安定」は確かに素晴らしいが、葵は知っている。夜の世界を生きる女にとって、安定は時に、最も退屈な牢獄になることを。

(愛は、いいわよね。何も疑わずに、あんな風に笑えて)

愛の隣に座る健一(48歳)の、穏やかな横顔を思い出す。それは葵が手に入れたくても手に入れられない、日向の幸福だった。だからこそ葵は、影の中で慎二と深く絡み合い、火傷するほどの熱量を求めることで、自分のバランスを取っていたのだ。

「あーあ、早く明日にならないかな」

誰にも聞こえない声で独り言をこぼし、葵は店を出た。池袋西口の夜風が、火照った頬をなでる。明日の夜、慎二の腕の中で自分がどんな声を出すのかを想像しながら、葵は闇に消えていった。

「(……どんなに汚れた関係だって、愛したもん勝ちよね)」

彼女のその確信が、やがて来る嵐を、より一層残酷なものにすることに、彼女はまだ気づく由もなかった。

第3話、嘘で塗り固められた新人の紗耶香「仮面の綻び」へ続く。

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